荒川区政務活動費の不適切な支出について
令和3年1月13日、松明け早々に穏やかでないニュースが流れた。
区議会議員としては襟を正さなくてはならない。
だが、「襟を正す」とは、具体的な行動の比喩であって、おまじないではない。
私、あるいは区議会議員は、どう行動を改めるべきなのか。
目次
- 事実関係
- 住民訴訟
- 判決の内容と決着
- 区民感情と住民訴訟
- 棄却された部分に原告の意図が隠れていないか
- 原告の意図を無理矢理読んでみる
- 住民訴訟の決着はどうあるべきなのか
- 被告は執行機関
- もし自民党区議団が被告だったら
- 結論、私、あるいは区議会議員は、どう行動を改めるべきなのか
- 議論を引き受ける事こそ区議会議員の本懐
- ちょっと別の話
- もう一つの請求
- 執行機関と議決機関・区役所職員と区議会議員
事実関係
平成30年7月21日(土曜日)から同月22日 (日曜日)
荒川区自民党区議団が、新潟県湯沢町 (越後湯沢)のホテルにおいて宿泊を伴う研修を開催。
荒川区自民党区議団所属の議員13名、荒川区役所の幹部職員42名が参加。
21日午前10時から午後4時まで研修会。
22日には研修会はなかった。
荒川区自民党区議団は、
交通費として15万9720円、
宿泊費及び会場費として22万8750円の
合計38万8470円を政務活動費から支出。
荒川区幹部職員は、研修に参加するための旅費(交通費及び宿泊費等)を、私費で負担。
住民訴訟
若干ややこしいのが、この件で訴えられたのが、自民党区議団ではなく、区だと言うところだ。
「(自民党区議団の支出を政務活動費に計上したのは違法だから、)区がその分の返還を請求せよ」という訴えだと言う点は、最初に確認されたい。
区議会議員の支出する政務活動費に不適切と思われるものがあったとしても、区民が直接区議会議員を相手に訴えを起こすほどの法的根拠が乏しいケースが多い。
あくまでも、政務活動費の支出が適正か否かを監査するのは区であり、区民はその監査が適正か否かを判断して、不服がある時には、監査を行った区を相手に訴えを起こすこととなる。
判決の内容と決着
- 研修を越後湯沢で行う必要性はない
- 研修に宿泊を伴う必要性はない
原告の請求のうち、この2点が認められ、交通費・宿泊費・会場費の合計38万8470円から交付分を超過した6万4172円を引いた、32万4298円を政務活動費の不適切な支出として、区に返還を求める判決となった。
この判決を受けて、荒川区自民党区議団は、即日32万4298円を返還した。
区も控訴しなかったため、以上を持って、この件は決着したのだろうと思われる。
区民感情と住民訴訟
私は、個人的にこの決着になんとも言えない後味の悪さと晴れない靄を感じた。
この後味の悪さ・靄の正体はなんなのだろうと、このニュースを見て以来ずっと考えてきて、最近ようやく形が見えてきた。
それは、「原告に代表される”区民感情”はこの決着に納得したのか」という問いが、未だに残ってしまったように感じられる点だ。
勿論、実際には原告も納得しているのだろう。
ここから先の原告はむしろ、私の想像(妄想)の中の原告だと考えていただいた方が自然かもしれない。
もちろん原告の訴えは、あくまで原告個人の意見であり、全区民の総意とは言えないし、多数意見とも言えない。
一方、判決で、
- 研修を越後湯沢で行う必要性はない
- 研修に宿泊を伴う必要性はない
この2つの訴えが認められた理由は、
- 「社会通念に照らし,必要性, 相当性に欠ける」
- 「区民の理解を得られる範囲内のものであるとも認められない」
となっている。
原告の訴えは、この部分に関しては、比較的区民感情に沿った至極真っ当な訴えであったと言える。
そもそも住民訴訟は、心理的にも金銭的にも労力的にも決して安易に行えるものではない。
つまり、一区民・それも区政に非常に強い関心を持ってくださる区民(住民訴訟を起こすと言うのはそう言うことだろう)の切実な訴えがここにはあったはずだ。
棄却された部分に原告の意図が隠れていないか
ここで、原告の請求のうち、棄却された部分を大掴みに見てみたい。
- 研修に参加させられた荒川区役所幹部職員が自費で負担した旅費を、損害として自民党区議団に請求せよ
- 不適切に請求した政務活動費で、仮装・隠蔽するなど不適切である事を自覚していたから、ただ返還するだけでなく延滞金、さらに重加算金を、それぞれ支払うよう自民党区議団に請求せよ。
1に関しては、住民訴訟が対象とできない内容で、そもそも住民監査請求でも対象外とされており、訴え自体が無効な内容。
2に関しては、今まさに適正か否かを争っているのに、不適切である事を自覚していたとは言えないし、請求がこれから行われるのに、延滞金は発生し得ないし、重加算金は法的根拠がない。
結果として、当然棄却されたのだが…、
これ、原告も棄却されることを承知の上で請求したのではないだろうか?
私はこの部分は、原告からのメッセージ・問題提起として捉えるべき部分であり、議論の喚起こそが原告の真の請求であった様に思えるのだ。
原告の意図を無理矢理読んでみる
1、2共に、その法的根拠の乏しさに反して、内容は無意味ではない。
それどころか、私は非常に考えさせられる内容だった。
今回は「襟を正す」ことを考えたいので、特に2の請求に関して先に取り上げたい。
2について、裁判所はこの延滞金・重加算金を民法その他関連法規によってなんとか解釈しようとしているが、原告は延滞金・重加算金に関してハッキリと「地方税法の規定により」と言っている。
もう、どう考えても棄却前提の訴えとしか考えられない。
そして、ここにこそ原告の政務活動費に対する問題提起が端的に現れている。
「政務活動費は、民間企業の経費と同様に考えるべきだ」と言っているのだ。
「税務調査によって、経費が過大に申告されていれば延滞税、隠蔽など悪質な場合は重加算税が、それぞれ掛かるのと同様、住民訴訟或いはその前段階の監査請求によって、政務活動費が不適切に支出されていれば同様のペナルティがあって然るべきではないのか。」
さらに、「税金を原資とする政務活動費の使途の適否は、そもそも『区民の理解』こそが正当な判定基準だ(国税甘く見んなよww)。」まで読んだら読みすぎだろうか?
私は、区議に立候補するまで、自営業を営んでいたせいもあるのだろうが、この『政務活動費観』に大いに説得力を感じるし、全くもってその通りだと思ってしまう。
ここに至って、私はこの訴訟そのものが、判決を求めたものである以上に、問題提起と議論喚起にあったことを、殆ど確信した。
となると、気になってしまうのが、「区は原告と和解の可能性を探ったのか」になる。
住民訴訟の決着はどうあるべきなのか
被告は執行機関
惜しむらくは、住民訴訟が執行機関である区を訴えるシステムになっているところだ。
執行機関は議論よりも遵法を旨とする機関だ。
執行機関の行為は全て、法律を根拠としていなければならないし、法律に忠実である事こそが執行機関を全体の奉仕者たらしめている。
今回の住民訴訟で、結果的に政務活動費の支出が不適切であると認められたが、区としては予め不適切と判断する根拠となるような法なりルールなりが無ければ、それを勝手に不適切と判断したりできなかったはずなのだ。
そして、今回の判決を受けても、あくまで「個別に判断されたケース」として位置付ける可能性すらある。
つまり、以降の政務活動費の使途についても、法・ルールの改正がなければ従来通りの基準で適法と判断する可能性は十分に有り得る。
そして、それ自体は区の怠慢とは言えないのだ。
(政務活動費のことを監査請求しても、住民訴訟で突っ込んでも、そもそも区としてはルールが変わらない限り不適当の判断は出せないし、出さない。そして、ルールを変えるのは行政の仕事ではない。)
今回の住民訴訟においても、訴訟の提起があった時点で、区としては争点が、
- 研修を越後湯沢で行う必要性
- 研修に宿泊を伴う必要性
に絞られることは予見できただろうし、この争点については司法の判断に委ねればいいと考えたはずだ。
区としては、原告と和解をする動機は全く存在しないどころか、積極的に抗弁する動機すら無かったかもしれない。
ただ自身の判定基準(そもそも全く詳細・厳格ではない)を明らかにすればいいだけだ。
おそらく、和解・原告と話し合いの場を設けるような事はしなかったのではないだろうか。
ここまで、勝手に原告に肩入れして判決を見た私としては、この噛み合わない原告・被告の立場に非常に歯痒さを感じてしまう。
あの荒唐無稽ではあるが明朗快活な原告のメッセージは、おそらく区には刺さらなかっただろうし、刺さったところで応える手立てが無い。
本来、区政に議論を持ち込む役割を負うべきは、議決機関である議会・区議会議員である。
もし自民党区議団が被告だったら
制度上有り得ないが、私は個人的にどうしても「今回の被告が自民党区議団・区議会議員であったならば」と考えずにはいられない。
区議会議員であれば、今回の請求に現れているメッセージを受け止めたかもしれないからだ。
積極的に和解・話し合いの可能性を探ったかもしれないし、或いは逆に徹底的に抗弁して政務活動費としての正当性を訴えたかもしれない。
実際、自民党区議団は同様の研修を翌年も行っている(もちろん自費でだが)。
と言うことは、自民党区議団としてはこの研修の成果を重要視していることに他ならず、この研修の目的と手段を丁寧に説明して公開すれば、案外区民の理解を得られたかもしれない。
正当な経費なのであれば、むしろ政務活動費に計上することで、透明性を担保しなくてはならない。
透明性の担保こそが、政務活動費に税金を充てる理由であり、自費で行ったのでは、区政が区民から見えなくなってしまう。
個人的には、今回の判決で、自民党区議団と荒川幹部職員達の間で今後も続くであろうこの研修の透明性を、区民が求めづらくなった事を残念に思う。
結論、私、あるいは区議会議員は、どう行動を改めるべきなのか
私は、区議会議員として、政務活動費の使途について、丁寧に目的と手段を説明し、区民がその政務活動の費用対効果を判定できる体裁を整えて計上するように改めるべきだと考える。
私は、区議会議員として、住民監査請求・住民訴訟はもちろん、通常の監査に於いても、区民の判断を反映し得る、詳細で厳格な政務活動費の使途に関するルールの設定を改めて議論すべきだと考える。
議論を引き受ける事こそ区議会議員の本懐
今回の住民訴訟を「他所様のケンカ」として捉えるなら、私は当事者ではないし、首を突っ込むような話ではない。
しかし、住民訴訟は原告・被告共に根っこには「より良い区政を目指す」という共通の志を持っている。
そんな住民訴訟では、蚊帳の外になってしまう区議会議員ではあるが、区政のあらゆる局面に於ける問題提起や議論喚起に感度を鋭く持って、区政に議論の多様性をもたらす事こそが、区議会議員本来の存在意義だと考える。
時にその問題提起や議論喚起は、一部の区民の非常にローカルな議論かもしれない。
しかし、区政に反映されるまでに、議員全体・議会の中でバランスが取れると信じているので、汲み上げて俎上に載せることに私自身何の躊躇もない。
多様性とは、ローカルな議論そのものだと言ってもいい。
大局は執行機関の長たる区長が信任を受けている部分だ。
大局に流されて、多様性に対する感度が鈍ってしまっては、区議会議員は存在意義を失ってしまう。
そう考えて、敢えて他所様の事に、多分に余計な事を書いてきたことをお許しいただきたい。
ちょっと別の話
もう一つの請求
「研修に参加させられた荒川区役所幹部職員が自費で負担した旅費を、損害として自民党区議団に請求せよ」
原告の請求で棄却されたもう一つを考えたいが、「参加させられた」とする根拠が、見つけられなかった。
むしろ、私は「荒川区幹部職員が休日に自腹を切ってまで参加するメリットってなんだったのだろう?」と、真逆に考えていた。
原告は自民党区議団の悪意による政務活動費の不適切な支出を主張していたため、それに騙された荒川区幹部職員はシンプルに被害者だと主張しているだけかもしれない。
(皮肉的だが決して嫌味ではないこの原告の痛快な手法を考えると、もっとストンと落ちる解釈があるような気もするが、分からない。)
執行機関と議決機関・区役所職員と区議会議員
この記事の流れで書くと、特定の個人や団体への攻撃と捉えられかねないので、また改めて書きたいと思うのだが、触りだけ予告という形で書いておきたい。
私は私自身の政策の大枠の一つに「議会・行政のあり方をデザイン」を掲げており、その中に「議会改革の推進」がある。
これは、強力な執行機関に対して、両輪としてバランスを取り得るような議決機関のあり方に対する問題提起だ。
その中には、
- 各種会議で行政の専門家として区議会議員の質問に答弁する理事者(荒川区幹部職員)
- 理事者に適切に質問し議論できる区議会議員
この2者の適切な緊張関係も含まれる。
ちなみに、政務活動費とは、区議会議員が区民を代表して、専門家である理事者に鋭い質問をぶつけ、丁々発止の議論ができるようになるための調査や研修に費やされる費用のことだ。
ちなみにちなみに、議員のこの調査を手助けする議会事務局は、一方で政務調査費の報告を受け付ける機関でもあったりするのだが、そもそも事務局員は区役所職員であり、この事務局の立ち位置も不明瞭な部分が多い。
議会改革については、また改めて書いてみたい。