政治入門③投票率0%の憲法改正

2023/03/15

目次

  • 選挙はおまじないか?
    • 難しい?怖い?面倒?
      • テストでもクイズでもない
      • 面倒くさくてもこっそりは侵せない
      •  
        結局選挙って何だかわからん
  • 陰謀論の予感
    • 『選挙』と『国民投票』
    • 投票率低下の中での憲法改正
    • 夢とロマンの陰謀論

選挙はおまじないか?

難しい?怖い?面倒?

投票率がどうのってのは、問題の結果であって原因ではないのかもしれません。
 

選挙誰得問題以前に、選挙つらい問題かもしれません。

テストでもクイズでもない

選挙にどんな意味があるのか?
選挙で投票したことで何をしたことになるのか?
 

「それがわからないと間違った投票をしてしまうじゃないか。」
 

その考えは怪しいですよ。
 

正解じゃ無くて良いんです、我々はただ選ぶだけで良いんです。
 

「でも怒られそう」

誰からですか?あなたがバラさない限り誰にもバレません。

バレたところで、何を怒るんですか?
 

あなたの選択が、未来の結果にどんな影響を与えるのか、誰が既に分かっていると言うのですか?
 

「誰にもバレなくたって、私の間違いによって苦しむ人がいるかも…」

天使ですか?

私はむしろ、あなたにこそ投票して欲しいと思います。
 

我々が選挙でやっているのは、『間接民主主義』です。

それもかなり徹底した間接っぷりです。
 

選挙では、政策を選んでいる風に見えて、完全にを選んでます。

あなたが選んだ人が当選するとも限りません。
 

当選した人も、ようやく国会での議論に参加しますが、国会での議論は意見を集約させる作業で、最終的には合意を目指します。
 

多数決は民主主義の原則だと良く言われますし、私も「へえ、そういうもんなんだ」と受け入れています。
 

しかしそれは、議論を尽くしても意見が一つに集約しない時に、多数決で決めようと合意している前提の話なんだと思います。
 

つまり、単にルールとして受け入れているに過ぎないように見受けられます。
決まったことを全員が受け入れようという合意なしに、多数決自体に意味があるのかはわかりません。
 

多数派に正当性を与えるロジックで素直に納得できるものに出会ったこともありませんし、思いつきもしません。
 

ただ敢えて言うなら、多数決を採用することで、国会では少数派の主張が強引に押し通されないようになっていることは確かです。

まあ、裏を返せば、多数派なら強引に押し通せるってことなんですけどね。
 

それでも一応、議論をして合意を目指しているはずですよ。
 

その議論の過程で議員の政策に対する態度も、誠実であればこそ変化してしまうかもしれません、変わらないかもしれません。
  投票者は政策に関して正解どころか何も選べていないってことに愕然とするでしょ?
 

もし、私たちが『間接民主主義』に於ける投票で正解しようと考えるならば、めちゃくちゃ粗く考えて、思い切り少なく見積もっても、4段階くらいの正解を一発の投票で当てなければならないように見えます。
 

どんな世の中が、正解か
どんな政策が、世の中を正解に導くか
誰が、その政策を実現するか
私はその誰かを当選させられるのか
 

無理ゲーです。
 

はっきり言って、どれ一つとして正解する自信がありません。
 

特に最後の一個は、私の投票が影響あるのは確かでしょうけど、投票だけでどうにかなる話なのか?って感じです。

誰かを当選させよう。

これは、有権者個人にとって最も素朴な投票の目的ということになりそうですが、そもそも正解どうこうって話じゃないのは明白です。
 

選択肢の中から『正解』を選ぶみたいな選挙観自体ナンセンスです。

そもそも、我々にとっては答え合わせすら有るんだか無いんだか微妙です。


結果とか成果とかあっても良さそうなもんですけど、いまいちどれがそれだかわかっていません。
 

何が投票の因果なのかまーったく分かりません。
 

投票終わって家帰るとテレビとかネットとかで『選挙特番』やってますけど、候補者たちにとっての合格発表ってだけです。
 

昔のお祭りとか町内運動会の頃は、これもまた「結果発表ー!」的なエンタメの一部だったのかもしれないですけど、今は我々にとっては個人的に興味が有るか無いかって程度です。

となれば、ほとんどの人は自分の決定にあんまり自信がないはずです。
少なくとも自信を持つ根拠が見つかりません。

それどころか、全部不正解に見えることもしばしばです。


だって、ほぼほぼ知らない人の中から選ぶんですよ。
 

国会議員と言えど、メディアでよく見るような政治家は限られています。
 

「あの議員は話分かりそうだな」
「あの政治家はなんか違うな」
「この議員ちょっと面白いかも」
「こいつクソだな」

どういう人に投票したいのか、自分の中でボヤッとできてきたとしますよ。
 

んで、いざ投票に行きます。
 

「いやいや、あんたら誰ですか?!」


全く知らない顔ぶれが並んでいます。

そもそも無理矢理搾り出していた微かな政治への興味が、がっつり削がれます。
 

そんな悩ましい状況でそれでも何とか選択をしたとします。
 

ところが、投票後には自分が何て書いたか思い出しもしませんし、覚えていないかもしれません。

本来であれば、選べない時の選び方を2、3個例示するのが親切なんでしょうけど、私のこっそりをバラしたくもないので控えます。

本当に自分なりで良いんです、何か頑張って書いてください。
 

なので敢えて言えば、『有効票』になるように書けてれば正解です。
 

面倒くさくてもこっそりは侵せない

現代の通信技術がありながら、未だに投票所に出向いて投票するなんて何のギャグだろうって感想は当然です。

選挙のためにわざわざ投票所に出向くのは、かなり面倒くさいです。
 

実は、この「面倒くさい」ってのが一番厄介です。
 
確かに、Webで投票なら時間的労力的コストは圧倒的に削れるはずです。
投票率が低下してなくたってやってほしいところです。
 
ただ残念なことに、Webでやりながら、かつ、投票のこっそりが保証される方法がわからないんだと思います。
 
投票の時、あなたが誰かの管理下支配下にないことを確認しようがないんで、今のとこ投票所です。
 
だから、「面倒くさい」に関しては、「私もです」としかお答えしようがありません。

結局選挙って何だかわからん


 自分が選挙に行って世の中にどう影響するのか?
→ほとんど影響ないかも。
 

自分にどんな利害があるのか?
→ほとんど損も得もなさそう。
 

「選挙は簡単だよ、何選んでも良いんだよ」と一生懸命言えば言うほど、有権者にとって選挙が何の意味もないことを説得してくるばかりで、本当に選挙なんて必要なのかすら怪しくなって、全然行く気が起こりません。
 

合理的な根拠を持って投票に臨めないのであれば、選挙はただの『おまじない』みたいなもんです。

案外そうかも知れません、おみくじ…それもまさかの逆おみくじです。
  行かないとバチが当たるって信じてる信心深い人だけが「けしからん!」って言っているのかも知れません。
 

バチなんて馬鹿馬鹿しいって思えるならば、棄権しても特に後ろめたさもありません。
 

行った人でさえ自分が何書いたか忘れるくらいです。
行かなくったって、何も気になりません。
 

結局、投票率低下は何か問題があるような気がしたのは、なぜか信じ込んでいた根拠の無い迷信で合理的な現代人は気にしなくて良いんじゃないでしょうか。
 

どうもいまいち議論が煮詰まってくる手応えがありません。

どうやらアプローチを間違えたようです。

陰謀論の予感

『選挙』と『国民投票』

間違えていることは最初からわかっていたんですが、どうしても選挙って何?から始める必要性を感じていたのです。

 

『間接民主主義』における『投票=逆おみくじ』の実効性の低さと、
『直接民主主義』における『投票=多数決』の有無を言わさぬ実効性の高さ。
 

我々が、この二つの大きな隔たりを認識しないまま、単に『投票』と一括りに認識してしまうことへの危険感を共有したかったんです。


投票率が低下している今日、結構起こりがちな気がしませんか?
 

我々有権者は、通常『選挙』を通じた『間接民主主義』によって『国会』を管理しています。


ところが、時に『投票』による『直接民主主義』で決断を下すことを迫られます。


その直接民主主義の投票の名前を『国民投票』と言います。
下す決断が『憲法改正』です。


『選挙』と『国民投票』

この2つの投票は、全く意味が違います。


ちなみに私のざっくりした認識では、
『憲法』とは、国民が公機関に対して従うことを義務付けた『公権力』の利用規約
です。


憲法改正とは国民が、
公機関にもっと公権力を積極的に行使させたければ緩め、
公機関の行使する公権力を抑えさせたければより厳しく、
規約を改正することです。


これで合ってるんですかね?
それほど自信もないですよ。
義務教育で習ったろって?!

皆が皆学校で習ったこと全て覚えてると思うなよ!

って思っちゃうんですけど、甘えですか?


ちなみに、学校では『三権分立』って習ったんですけど、本当に憲法に沿って三つの府を設計したら三権分立します?

かなり頑張って解釈しようとしたんですけど、結構無理あると思ったんですが。
んで、現実の公機関の実態も三権分立してないように見えるんですけど違うんです
か?

もし、日本国憲法から三権分立を解釈する手引書的なおすすめの本とかWebサイト
とかあったら教えて欲しいです。

ともあれ、我々日本国民は憲法改正の手続きとして、国民投票という直接民主主義

を採用しています。


想像してみてください。

私たちは各々、何を背負って『憲法改正』=『国民投票』に臨むんですか?
個人的な考えでいいんですか?

国民でありながら18歳未満の子供達は投票できませんが、彼らに配慮は要りませんか?

ノーヒントでファイナルアンサーですか?


この憲法改正については、また別の機会にも書きたいと思いますが、先にこの記事と関連することで2つ書いちゃいます。

投票率低下の中での憲法改正

 一つは、直接民主主義である『国民投票』でも投票率低下は大したことないのか?ってことです。
 

『国民投票』での投票は、国会における議員の多数による議決と同じく、紛れもない有権者の多数決による『直接民主主義』です。
 

例え選挙における投票が逆おみくじだとしても、国民投票はそうも言っていられない気がします。
いよいよ『正解』することが大事になってきます。

国民投票における投票は、最大のハードルである『誰かを当選させる』をすっ飛ばし、ついでに色々すっ飛ばし、問答無用の多数決です。


ちなみに我々有権者は一度もやったことがない初めてのクイズです。
誰も前例を見たことはありません。


何が起こるのかざっくり把握するみたいなことができません。


国会議員による直接民主主義が行われる国会では参議院・衆議院と、最低でも2回の議決をしますが、『国民投票』は一発勝負です。

国会では議決の条件に、出席議員数の制限がありますが、『国民投票』では相変わらず自己責任のようです。


なんかめちゃくちゃ不安なんですけど…。

私こればっかりは正直「間違ったらどうしよう」って思ってますよ。

夢とロマンの陰謀論

もう一つは、私にとってかなり深刻な民主主義最後の日です。

お待たせいたしました、お待たせしすぎました。


みんな大好き、私が大好き陰謀論です。


憲法は、憲法の改正手続きを憲法の中で規定しています。

自らの改正手続きを自らの中で規定しているわけです。


実は結構昔から、ここには論理的なパラドックスが存在しているんじゃないかと考えていました。

『自己言及の矛盾』とかいうやつです。

『この文は間違いである。』

ってやつです。


そしてこの矛盾が引き起こす最悪の事態って何だろうと考えました。

その結果…、

ダークユニオンの企みにより民意による改正ができないよう改正されちゃうんじゃないかと夜もオチオチ眠れないのです!


政治ロジック派・エンタメ派の皆様、特に憲法関係詳しい皆様、この陰謀論

いけますかね?